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【世界の犯罪】”マンソンファミリー”と引き起こされた凶悪犯罪の詳細

こんにちは^^ タクヤンです。

 

 

今回から

 

世界における犯罪・犯罪者

 

のお話をしていきます。

 正直な話、資料がなかったりするものも多いのでいくつかは管理人の妄想で話すところもあります。

なので

ちょっと妄想がすぎるかもしれないエンターテイメントとして読みましょう。

 

 

そして今回のお話は

 

 

マンソンファミリー

 

 のお話です。

 

 

 

 

マンソンファミリーとは?

 

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マンソンファミリー”とはチャールズ・ミルズ・マンソンという男が筆頭としたグループ。

カリフォルニアで1960年代~70年代前半に活動していました。

今でいうところの不良グループみたいなものだが、かれらはあまりにも多くの犯罪を犯してきたことで有名です。

 

 

”窃盗”、”恐喝”、”売春”、”殺人”……

などなど数々の犯罪を平気で行い自慢していました。

 

 

今回はそんな彼らの歴史を追いかけていきます。

 

ファミリー形成までの”チャールズ・マンソン”の歴史

 

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(写真の男がチャールズ・マンソン)

 

 

まず「マンソン」は1934年11月12日に私生児(婚姻関係のない男女間に生まれた)として産まれました。

 

母親は売春婦として生計を立てていたので彼は親戚をたらい回しにされていたんですが、彼の母親がガソリンスタンド強盗で刑務所に入れられました。

 

そこで叔父夫婦に引き取られましたが、虐待され女装させられ小学校に行かされイジメられ、さらには10代で刑務所に入れられ同性愛者の看守から性的暴行を日夜受けていました。

 

 

そして1955年5月の19歳で出所して炭鉱夫の娘と結婚して子供まで出来ましたが、売春組織の元締めをして逮捕

7年の懲役・・・・・・。

 

さらに自動車泥棒、小切手偽造、クレジットカードの不正使用、その他諸々の罪で何度も服役することになった。

 

 

しかし1967年に仮釈放されたんですがこの時アメリカではヒッピーが大流行しており彼はこの時からLSD(麻薬)で女性を洗脳、男性をうまく引き込んで作り上げたのが「マンソンファミリー」です。

 

 

”マンソンファミリー”の誕生

 

メアリーは図書館職員の「メアリー」のアパートに転がり込んで「パトリシア」や「スーザン」といった家出少女たちなどを街角や公園で仲間に引き込んでいました。

最初は黒く塗りなおしたバスでカリフォルニアを放浪していました。

 

 

しかし仮釈放後からわずか1年後には「ファミリー」はほぼ完成してしまい、その時親交があった「ビーチ・ボーイズ」のメンバーの「デニス・ウィルソン」。

そんな彼の家に入り浸ったり、デニスのツアーにメンバーの女の子を同行させたりデニスから資金援助を受けたり、曲を合作などしていました。

さらにはここでテリー・メルチャーなどの業界人ともコネを作っていました。 

 

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そしてその後彼らはロサンゼルス郊外のスパーン牧場のオーナーに対してファミリーの女性を好きに抱いていいという交換条件で定住することになりました。

 

 さらになんとこの時、メアリーとスーザンはマンソンの子供を既に産んでいたそうです。

この牧場に定住後は食料が必要な時はスーパーの食料の賞味期限切れの廃棄物を引き取るなどをしていましたがお金が必要なときは窃盗品を売ったりするなど普通に犯罪行為をしていました。

 

 

そして1969年7月25日に彼らのもとに音楽教師の「ヒンマン」が訪れました。

彼はドラッグを密売するなどファミリーとは割と仲がよかった。

 

  

マンソンの妄想

 

この時マンソンはビートルズの曲から思想的啓示を強く感じていて「ホワイト・アルバム」から終末論に繋いでました。

 

シナリオは以下のようになる。

 

近い将来に黒人の急進過激派が白人を駆逐する為に蜂起して核戦争が起きて黒人が勝利

しかし世界には混乱が起きてしまうが世界を統治するのはデス・バレーの洞窟で生き残った「マンソン・ファミリー」である。 

 

 

完全にホラー映画やゾンビ映画、パニック映画に1人か2人はいる混乱に乗じて支配しようとする狂人ですね。

 

 

 

ファミリーが起こした悲惨な事件

 

さて、1969年の7月25日ヒンマンが2万ドルを相続しているという噂を聞きつけてマンソンらは彼を襲いました

 

マンソンは自称「魔法の剣」でヒンマンの首を斬りつけ、耳を削いで2万ドルの場所を聞き出そうとしたが結局わからずじまい。

最後は次の日に混乱したボーソレイユがナイフでヒンマンを殺してしまいました。

 

 

マンソンはそこで壁に血文字で「ブラック・パンサー」の犯行であるように見せかけたんですね。

(* ブラック・パンサー:マーベルヒーローではなく、1960年後半ぐらいに実際に存在した黒人解放運動を促進する政党のようなもの。)

 

 

そしてヒンマン殺害後約1週間で

 

  • ボーソレイユがヒンマンの車を運転していて逮捕
  • メアリーも盗んだクレジット所持で逮捕

とロサンゼルス警察も彼らを要注意団体としてマークされ始めました。

 

 

 

さらに最悪なことにデニスの口添えでレコーディングをするも評価もさっぱりでマンソンもいら立ちを募らせていました。

そしてなぜかメルチャーがマンソンの制裁の標的にされてしまいました。

 

 

そしてついに1969年8月8日にメルチャーに報復するために殺害計画を実行しましたがここで大きな誤算が起きていました。

 

 

 

 

 

実はメルチャーが住んでいた家にはすでに違う人が住んでいた。

だが彼らは犯罪計画を実行に移しました。

 

 

家に住んでいたのは映画監督の妻「シャロン・テート」ヘアドレッサーの「ジェイ・セブリング」コーヒー王の跡取り娘の「アビゲイル・フォルジャー」など有名な方たちでした。

 

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(引用:wikipediaよりシャロンデート)

 

物凄く簡単に説明すると

 

  • セブリングは撃たれナイフで刺されロープで吊るされた
  • アビゲイルは恋人が殺された後にナイフで刺し殺された

 

 

そんな中でも「シャロン・テート」は悲惨な殺され方をしてしまいました。

彼女は妊娠9ヶ月目だったんですがその事を泣きながらマンソンらに伝えましたが

「この売人女!貴様に慈悲などない!」

3人からナイフで計16ヵ所を滅多刺しにされてしまいました。

 

 

その後、今のドアに「PIG(豚)」と書きなぐって犯行現場から逃走してしまいました。

 

 

止まらなかったファミリーの暴走

 

この有名監督の妻の死亡記事が載っていることを見たマンソンはものすごく満足そうにして今度は自ら指揮をして犯罪を起こすのであった。 

 

 

それはスーパーマーケットのオーナーを狙うことであった。 

 

1969年8月9日の午前1時過ぎにオーナーが居間で新聞を読んでいると銃を持た小男が立っていた。

オーナーと妻を縛り上げるとマンソンは外に待機していた3人に殺害を命じました。

 

 

オーナーは喉を切られ、刃がギザギザになっているキッチンナイフをその首に突き立てられ、ナイフで20か所、フォークで14か所も刺されて死亡。

そのお腹に「WAR」の文字が刻まれた

 

次に妻の背中がナイフで突き刺され2人の犯人に41か所も滅多刺しにされて死亡

 

 

さらに恐ろしいことに壁と冷蔵庫に血のメッセージを書きなぐると亡くなった夫妻のペットに餌をやり、自分達も食事をとってからその場から逃走した。

 

 

終焉

 

 夫妻を殺害後は牧場で身を潜めていたがファミリーはすでに30~40人ぐらいまで膨らんでしまっていた。

 

そこからは約3ヵ月で逮捕された。

 

 

年代 経歴
 8月16日

農場の手入れの際に自動車窃盗で25人が逮捕。

しかしこの時はまだ「テート」、「オーナー殺人」とファミリーの関係には気が付かづ全員が釈放された。

10月12日

銃器不法所持でマンソンが逮捕

逮捕の際、彼は洗面台の下の小さなキャビネットに隠れていた。

 11月6日

メンバーの一人のスーザンが売春容疑で逮捕。

その際留置所で「テート殺害犯」である事を周りに自慢してしまい全て看守にタレこまれ、芋づる式に逮捕されていった。

  

 

このようにたった一人の何の得にもならない自慢によって全員が逮捕されていき、裁判にかけられることになった。

 

 

裁判は1971年1月25日に判決が発表されることになり、裁判所付近は厳戒態勢が敷かれていた。

そんな中で、マンソンに下された判決は第一級殺人と殺人の教唆で有罪判決

マンソン及び実行メンバーはそれぞれ死刑を宣告された。

 

 

だがその11か月後にはカリフォルニア州では死刑が廃止されたので彼や他のメンバーたちは減刑されて、無期懲役になった。

その後、2009年の9月24日にスーザンが獄死し、マンソンも2017年に死亡している。

 

 

 

こうして

凶悪犯罪集団”マンソンファミリー”の幕は終わりを閉じたのであった。

 

 

 

終わりに 

 

彼の生い立ちを調べるとこういった性格になってしまうのも無理はないかと思いましたがそれが人殺しの理由になるわけではありません。

特に彼らは自分たちが目立ちたい、支配したいという身勝手な理由で犯罪を犯しています。

 

 

社会を恨んでいた憎んでいたなども言われていますが詳しいことは分かりません。

そんな中で最後は憎んでいた社会によって死刑を逃れて人生を獄中ではありますが全うできたのは皮肉のように感じられますね・・・。

 

と同時に殺された人たちの無念はどこに行くんだろうとも思いました。

 

 

では、また次回もお会いしましょう。

 

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