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【菅島事故】自衛隊員14人の殉職者を出した事故の詳細とは?

2019年4月25日

こんにちは。タクヤンです。

今回お話するのは

菅島事故

です。

自衛隊の飛行機が起きてしまった悲惨な事故でもあります。

 

 

菅島事故の概要

菅島事故

引用元:きたさんのTweet

この事故は1983年4月19日に三重県鳥羽市菅島の大山山腹および山頂で午前7時17分と19分ごろに発生した自衛隊機が起こしてしまった航空機事故。

自衛隊機C-1輸送機6機のうち、2機が事故に遭い、14名の乗員が死亡するという悲惨な結果になった。

 

 

 

菅島事故を起こした機体C-1輸送機の詳細

菅島事故を起こした機体C-1輸送機の詳細

 

 

 

 

Wikipedia:C-1輸送機

簡単に事故を起こしたC-1機の詳細を書いておきます。

C-1は元々日本が戦後に初めて開発された国産の中型輸送機

試作機を含む31機が製造された。

  1. 通常乗員数: 60名
  2. 完全武装空挺隊員: 45名
  3. 患者: 36名
  4. ジープ級小型車: 3台
  5. 最短航続可能距離: 岐阜~北海道、岐阜~九州

2012年には老朽化も激しく、継続機のC-2も作られ新しく配備されている。

 

 

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菅島事故の発生とその原因は何なのか?

菅島事故

C-1輸送機は愛知から埼玉まで向かう航路で、当時は結構な濃霧だったのでパイロットたちは計器飛行方式(目視と計器両方を駆使した飛行方法)を取る予定であった。

しかし関東地方の天候を考慮した上でVFR(目に頼った飛行方法)の飛行計画の許可を得た。

VFRとは視界が十分に確保(最低1500m先が見える)されている状態かつ許可を得たうえでパイロットが自由に高度を選べるという方法

 

 

そして6機すべてが離陸した後4番機が先頭で他の機体を先導していった。

だがしかし1番機以下5機は伊良湖岬から南西に13㎞のコースを通過して東進せず、そのまま菅島上空まで近づいたがこの時、VFR可能条件ギリギリであり、この時の高度は約180mで後続機も同じ高度であった。

そして7時17分ごろ、1番機が墜落炎上、2分後に2番機も機体が負傷し「燃料投棄後帰投する」という連絡後消息を絶った。

 

 

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菅島事故後の動きと遺体の発見

 

事故が起きた後、19日の午後までに大山山腹で1番機の残骸と乗員全員の遺体が発見。

そして2番機の残骸は広範囲に散乱していたが、20日未明までに4名が発見され、20日午前中に2名の遺体が発見された。

 

 

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終わりに

 

自衛隊が起こしてしまった航空機事故の中では悲惨な事故の1つですね。

14人もの殉職者が出てしまったのもそうですが、近くには学校もありそこに大きな被害がなかったのはせめてもの救いです。

 

こういった大型の航空機だからこそパイロットたちは当たり前ですが素晴らしい技術の腕前ですが、そういった人たちでも濃霧や様々な条件下では悲惨な事故が起きてしまう・・・・・。

誰が悪いか?という話ではなく、誰が操縦してもいつ事故は起き、今回はそれが自衛隊機であったということです。

最後に、この14名の自衛隊員の皆様に黙祷を捧げます

 

 

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