「少年ライフル魔事件」という日本で起きた銃撃事件の詳細と結末は?

2019年3月23日

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こんにちは。タクヤンです。

今回お話するのは

少年ライフル魔事件

です。

日本でもかなり古い少年による銃撃事件となります。

 

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事件の概要

少年ライフル魔事件”は1965年(昭和40年)7月29日に神奈川県で当時18歳の少年が起こした事件

警官隊と少年の間に激しい銃撃戦が発生し、1人の犠牲者を出してしまった事件でもあり、「犯行当時未成年」が最終的に死刑になった珍しい事件

 

犯人と事件までの背景

犯人の名前は「片桐操」。

1947年に4人兄弟の末っ子として生まれ、小学校の時代から兵器などのミリタリー雑誌を愛読していた。

成績は必ずしも良いわけではなかったが、体格はよく、腕相撲もクラスでは1番2番。

 

そして中学3年生の時には4500円という当時では高価な銃のおもちゃを買ってもらっていた。

父親は本物の銃を購入したいという彼に対して「人を撃つぐらいなら自分を撃って死ね」と言い聞かせてはいた。

そして中学を卒業した時には本物の銃を購入してもらい、そのまま自衛隊に志願したが試験に落ちてしまったのでコツコツ働いて新しく、水平2連式散弾銃を購入した。

銃の扱いに関しては病的なまでのこだわりがあったのか、他人には一切触れさせようとはしなかったといわれており、酒や煙草も体に悪いと手を付けていなかった。

 

事件の始まり

片桐操(以下K)は当初は射撃場で射撃をしていたが、なぜか銃禁止区域内で雀を空気銃で撃つなどの行為を行っていた。(生き物でも撃ちたかったのか・・・。)

当然通報され、警察官の田所康雄巡査(当時21歳)が急行し詰問されたことに腹を立て、威嚇射撃をしたつもりが誤って田所巡査を殺害してしまった。

これをきっかけに彼の暴走が始まることとなった。

しかし、彼の証言では警察の詰問に腹を立てたと言っているが、一方で「警察のみが持てる拳銃が撃ちたい」と故意に警察に通報したともいわれているがこの部分は今となっては詳しいことは不明。

 

応援に駆け付けた警察への銃撃

しばらくしてパトカーで応援に駆け付けた二人の警察官に対して近くの草むらに隠れていたKは二人に発砲した。

一人は腹部に弾が命中して重傷を負ったが、もう一人は奇跡的にも留め具の金属に弾が命中したので無傷であった。(すごい幸運)

 

警察になりすまし逃亡

(逃走ルート)

Kは二人の警官に発砲後、田所巡査から盗んだ警察の服や手帳などで偽の警察官を演じた。

初めはお菓子店の向かいに住んでいた男性と共に捜査に協力してもらう形で車に乗っていたが、検問をしていた警察官に引き留められると男性を人質にして逃亡。

人質はすぐに解放されたが、Kは今度はその近くの車を運転していた違う男性を人質に取って逃亡。

そして警察は総力を挙げるかのように3000人規模での捜査となった。

そのころKは新たにカップルを含めた3人を人質に取って渋谷へ行くように命じた。(女性は途中で気分が悪くなったためか解放された。)

 

銃砲店での立てこもりと一方的な銃撃戦の始まり

Kは2人の人質と渋谷区を行ったり来たりしていたが、やがてこの事件の舞台ともなる「ロイヤル鉄砲火薬店」の前に車を止め、人質の2人を残して鉄砲店に入っていった。

そして鉄砲店の中にいた3人の従業員と従業員の妹を含む4人を人質に立てこもりを始め、ウィンチェスターM100やM1カービンやレミントンなどを次々と持ってこさせ弾を人質に込めさせていた。

そしてロイヤル鉄砲火薬店の周りには野次馬や警察官、報道陣などが数多く集まっていた。

その数は

  • 警察官:7000人
  • 野次馬:5000人

にまで膨れ上がっていた。

そして彼は警察や野次馬に対して計133発の銃弾を発砲。警察官は野次馬に当たらないようにするのに必死になっていたが、流れ弾が野次馬に当たるなど現場は完全に混乱に陥っていた。

それに対して警察官も5丁の催涙銃で応戦することになった。

 

逮捕と裁判の流れ

鉄砲店で銃撃戦が始まって約1時間が経過し、催涙弾でKは耐え切れなくなって人質を盾に店を出てきた。

そこで隙を見た警察官が体当たりをし(人質が隙を見てKを殴ったともいわれている)、Kは逮捕された。

最終的には

  • 死者:1名
  • 重軽傷者:16名

の被害を出してこの銃撃戦は幕を閉じた。

そして犯人は逮捕後の取り調べに対して

色んな銃を撃ちまくることができて、たまっていたものを全部吐き出せスカッとした気分だ。どうせ刑務所に入るんだろうから、代わりにベトナムに行きたい。ベトナム戦争で好きなガンを思いっきり撃つことができるのなら死んでもいい

などと供述した。

そして2年後の裁判では以下のような判決が下された。

  1. 第一審:無期懲役
  2. 第二審:死刑判決
  3. 第三審:死刑判決

この一審と二審ではKは

銃への魅力は今尚つきない。将来、社会へ出て、再びこのように多くの人に迷惑をかけることのないような刑、死刑にして欲しい

と死刑を自ら望んでいた。

 

死刑執行と遺言

そして1972年7月22日に死刑が執行され、25歳で片桐操はこの世を去った。

また、この時彼は教誨師に対して以下の遺言を残している。

僕は親不孝の許しを乞い、被害者の方の冥福を祈りながら静かに死んでいきます。

でも、ぼくのような人間が2人と出ないよう、この社会から2度と出ないようにこの最後のつらさ、苦しさの心境だけは若者たちに伝えてください。

 

自分との闘いに負けた人間の最後のあわれな姿が、自分をして、自分で自分の首を絞めるようなもので、こんな人間にだけはなるなと教えてやってください。

先生、死刑囚んあった人間の教誨より、罪を犯さない人間を育てるために教誨をして下さい。

 

これが、僕の最後の頼みです

 

↓同じく18歳の少年が起こした戦前の犯罪
浜松連続殺人事件

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Posted by taurs0505